AIHATSU JAPAN OPEN 2025 優勝者に花束を。

夏の東京、蝉の声が降り注ぐ
代々木公園のそばで、今年も
世界最高峰のバドミントン国際大会
「DAIHATSU JAPAN OPEN 2025」
が開催されました。
会場は、国立代々木競技場 第一体育館。

世界ランキング上位の
トッププレイヤーたちが集い、
国や言語を超えてぶつかり合うその舞台は、
まさに世界中のバドミントンファンが
注目する真夏の頂上決戦です。

シャトルにすべてを託して打ち合うその姿は、
技術や戦術を超えて、ひとつの“意志”が
ぶつかり合うような緊張感に満ちていて、
スポーツが持つ純粋な力強さと、
静かな熱量をあらためて
思い知らされるような日々でした。

そんな大舞台で栄光を手にした
優勝者に贈る、表彰式用の花束。
その制作をご依頼いただき、
光栄にもお届けさせていただく
機会を頂きました。

表彰式という限られた時間の中で、
選手の手に渡る「たったひとつの花」。
それがどれほど多くの人の目に触れ、
どれほど大きな意味を持つかを思えば、
束ねる前の静かな数時間にさえ、
自然と背筋が伸びます。

今回のブーケは、ただ華やかに映えることを
第一にはしていません。
勝ち取ったその手に、ふさわしく、
静かに、けれど確かな存在感で寄り添えること。

花選びは、色や咲き姿の
バランスはもちろんですが、
そこに含まれる“語り口”の
ようなものを意識するようにしています。
たとえば、同じ赤でも、
青みが強ければ芯の強さを、
黄みがかれば情熱の余韻を。
咲き方が緩やかな花なら、安心や穏やかさを。
そんなふうに、目には見えない
感情の気配を拾い集めながら、
構成していく。
それはある意味で、
花束というより“ひとつの人物像”を
立ち上げていくような感覚に
近いのかもしれません。

花束は言葉を持ちませんが、
確かに「伝える」力があります。
見る人の記憶に残るのは、
決して色の鮮やかさだけではない。
誰に向けて、どんな思いで束ねられたか——
その背景までも含めて、
花は静かに語りかけてくれるものです。

今回の花束を手にした選手たちの姿は、
こちらの公式レポートでもご覧いただけます

あの舞台の真ん中で、自分が束ねた花が、
その瞬間の喜びや達成感を
包み込んでいたのだとしたら、
花屋としてこれ以上の幸せはありません。

このような大切な機会を託して下さった、
株式会社アガサスの皆様にも、
あらためて心より感謝申し上げます。
華やかでありながら、
繊細なタイミングや印象が
問われる場面のなか、
丁寧にコミュニケーションを
重ねて下さったおかげで、
心から納得のいく花束を
お届けすることができました。

あらためて思うのは、
特別な舞台に関わらせて
いただいたからこそ、
日々の花仕事の意味も
また見えてくるということです。

目の前の花をただ「綺麗に束ねる」
のではなく、その先にいる
誰かのことを想像すること。
その一束が、どんな時間に、
どんな空気の中で、どんな手に渡るのか。
それをほんの少しでも意識するだけで、
花の表情は変わってきます。
スポーツの世界で言えば、
基礎練習と試合運びの両方が
そろってこそ結果が出るように、
花の世界でも、
その両方が丁寧であることが
大切なのだと感じます。

今回の仕事を終えて、
あらためて思うのは、
華やかで注目される舞台に
立てたという満足感よりも、
この仕事に向き合う姿勢を、
もう一度整え直すきっかけを
もらえたということ。
特別な仕事ほど、
自分の原点に立ち返らされるものですね。

選手の皆さま、
優勝おめでとうございます。
関係者の皆さまも、
素晴らしい大会の開催、
本当にお疲れ様でした。

そしてまた、自分の仕事机に戻って、
明日も誰かの手に渡る花を束ねます。

こうして特別な舞台に
立ち会うたびに、
あらためて思うのは、
花の役割は決して
華やかさだけではないということ。
日常のなかにそっと差し出された一輪も、
空間を静かに整える装花も、
それぞれの場面に寄り添いながら、
確かな存在感を放っているものです。

店舗のカウンターに
季節を届ける定期装花や、
サロンの空気に調和するような
アレンジメント、
あるいは誰かを迎えるその瞬間に咲く、
ささやかな演出として——
花はその場所ごとに、
さまざまな表情を見せてくれます。
今回束ねた一束のように、
“その人の、その時間に、ふさわしいかたち”を
探し続けながら、これからも日々の現場を、
丁寧に重ねていきたいと思います。

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